流体の躍動

 水際の怖さと面白さは表裏一体。行き交う船が立てる引き波は、その好例と言えるでしょう。

 小説文中と同じ、3月2日の13時過ぎ。今までに見たことのない、大きくてゆっくりしたうねりが起こりました。連続写真とか動画とかであれば、迫力も伝わるんでしょうけど、作者のはごく普通のデジカメで撮った数枚だけ。その中で一枚を選ぶとしたら、これでしょうね。

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 当地での荒川の川幅は決して狭くないのですが、うねりが覆うと、何だか小さな川に見えてしまいます。とにかく川と言えば流れであり、その流れを作るものだけに「流体」という表現はピッタリ来ます。その躍動感は春の息吹と相まって、より強く感じられるのでした。(波が到達した後、どうなったかはご想像にお任せします。)(^^;



ふたたび、三月の巻」~春ラララ より

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(初音)「十四℃? うへぇ」
(小梅)「って平年並み?」
(初音)「並みじゃ済まないっしょ」
 すると、今度は熱を冷ますように、波が漂ってくる。その川下からの巡視船は、引き波を立てないように徐行していたのだが、波は波。ゆっくり大きくうねりが起こり、春の光を反射させながら水際に到達する。連続するうねりは、滑らかな曲線の集合体。流体と言ってもいいだろう。その躍動感に胸打たれ、一団はしばし手を止めて見送っている。消波する仕掛けがもしできてしまっていたら、自然が織り成すこうしたアートも鑑賞し得なくなるところ。
(櫻)「大波、小波...」
(南実)「私は南実」
(櫻)「いいねぇ、小松っぁん、その調子」
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