"氓"という字

 「ソウボウ」と普通に打つと、「蒼茫」というのが出てくると思います。ここでの「茫」は、茫然、茫漠、茫洋といった熟語でも使われる通り、遠いとか広いとかを意味する字だそうで、蒼茫とはつまり、「遠くまで青々と広がっていること」になるんだとか。

 この蒼茫に似た用語に「蒼氓」があります。このソウボウは変換ではまず出てこないので、蒼と打ってから、「氓」を手書き入力などで入れることになりますが、この氓という字、見れば見る程、意味深な感じを受けます。

 せっかくなので、漢和辞典「字源」でこの字を引いてみたら、以下のように記されていました。(部首は「氏」になります。民も同じく氏部。)

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 作者がこの蒼氓の解釈を小説文中に入れようと思ったのは、山下達郎のアルバム「僕の中の少年」にある同名曲「蒼氓」の歌詞がヒントになっています。意味の一つ「名のない民」そのものです。ただし、達郎氏も番組等でコメントしている通り、この曲を作ったのは、石川達三の芥川賞受賞作「蒼氓」を念頭に置いてのこと。歌詞では、より広い意味での民(市井とでも言いましょうか)が謳われているので、ブラジル移民をテーマとする同作とは直結しないと捉えられそうですが、民は民です。エッセンスを歌にした、と考えるべきでしょうね。

 なお、氓のもう一つの意味である「他より帰化せし民」は、正に移民に通じるところ。亡国の民=氓と考えると、その字の通りになる訳です。苦難とともに力強さを感じさせる、そんな一字だとつくづく思います。

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 多忙とか忘年会とかはその字(心を亡くす?)からして、あまり使わないようにしている(それぞれ多用、望年会にしてます)のですが、この氓であったり、茫であったり、はたまた、ススキを意味する芒については、また違った趣が感じられ、いい意味で心を無にしてくれる気がします。(そう言えば、荒川の「荒」も、芒の一種になりますね。荒れるとか荒ぶとかイメージ的にはあまりいいとは言えないですが、この延長で考えれば悪くありません。)



二月の巻 おまけ」~蒼氓 より

 これまで黙って聞いていた清がここでゆっくりと話しかける。
 「蒼茫って知ってるかい? 名のない草でも、しっかり根を張って、滔々と広がっていくことで力を増すってこと。人間も同じ。無名な市民が寄り添って支え合って、地域や社会を形成する。それには個々の黙々とした取り組みが第一。名誉とか勲章とかは要らない。しとり静かに、さ。な?」
 「ありがと、センセ。でもそのソウボウって、漢字は?」
 清はマーカーを手に力強くしたためる。
 「蒼茫、または蒼氓。こっちの民の字が入ってる方がしっくり来るかな。この蒼は、画家のお嬢さんの名前と同じ、だったよな。」
 「えぇ、くさかんむり、です」
 青葉でも碧葉でもなく、櫻の愛妹は蒼葉である。誇らしいやら羨ましいやら、櫻は軽く応答する。

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