コメントスパムをどこで抑えるか

 2005年の「愛・地球博」の一角に設けられた「地球市民村」に出展した際、スタッフ日記として「地球市民村blog」というのを用意していただいてました。出展月だった9月は特にコツコツとやっていたのを思い出します。

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 このblog、なかなかの人気を博していて、他の出展団体スタッフも本当にせっせと更新していた訳ですが、その人気ぶりに比例するようにコメントスパム(一種のblog荒らし)も増えていきました。地球市民村blogの管理会社でもあれこれ手を尽くしていたようですが、後手後手。不本意ながら、スパムにしてやられた、というのが正直なところでしょう。いよいよ閉鎖される段になった今春には、作者が手がけていたblogの方も、一つの記事で最大"千"単位のスパムが取り付いていてビックリ仰天! スパムをブロックする機能を設定し損なっていたこともあり、相当な被害を被ってしまいました。

 アップする度にバックアップはとっていたので、今は自分のサイト内に復刻してありますが、地球市民村blogの良さの一つだった出展団体のヨコつながり的な仕掛けは残念ながらありません。(v_v)

 メールのスパムもそうですが、こうした不義を抑えるには人間の本性や行動原理に踏み込んだ対策が必要な気がしてなりません。ゴミにしてもスパムにしても、それを出そう・送ろうとする心理や背景を探り、根本的な発生抑制をしていかない限り、いつまで経っても「対症療法」の域を出ないでしょう。おそらく他者や社会とのつながり感が乏しく、「淋しい」とか「認めてもらえない」とか、何らかの「満たされない」感覚が、そうしたものを生み出して止まないんだと思います。

 お互いのつながりの中で「満たす」「満たされる」、または「吾、唯、足るを知る」の境地を相互に創っていく...今日のグローバリゼーション(=過剰&不毛競争)社会では困難な話です。持続可能とともに「選択可能」な社会をいかに創り出すか。まずは小規模でもいいから特区で実験(必要最低限レベルのモノ・金銭での生活実験・・・ただし教育・医療は無償、地域のあちこちに無料サービスetc.)してみるとか、でしょうかね。



二月の巻 おまけ」~蒼氓 より

...清は千歳の席で、Comeonブログの機能強化に乗り出す。
(清)「ははぁ、そのコメントなんかも一覧で表示されるってか。これなら見落とすこともなさそうだ。」
(千歳)「念のため、怪しいのが来ないようにブロックしておきます。その方が確実に見ていただけるでしょう。」
(清)「ま、別に来る者は拒まずだけどよ。漂着大歓迎、だろ?」
(千歳)「いや、やっぱいかに予防するか、でしょう」
 干潟でもインターネットの世界でも、ゴミ対策は共通のようである。但し、ブロックと言っている限りは例の消波工事と次元としては変わらない。より遡った抑制策がスパムにも必要なのだ。

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